Activities

Prologue

公益社団法人日本国際生活体験協会(EIL)とは、1932年アメリカの教育学博士によって提唱され、世界各国へと広がった組織。政治・宗教・人種などに関りなく、異なる文化を持った人たちが一緒に生活することでおたがいの文化を理解し尊重しあう個人レベルでの国際交流が世界平和につながるのではないかという考えから世界各国でホームステイプログラムを実施している。香取章子は、こちらの組織を通じて19歳の時アメリカで2か月間の短期留学とホームステイのプログラムに参加。

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1973年3月、21歳の時にはメキシコでホームステイ1か月。
英国留学から帰国して就職してからも、休暇を利用して、ニュージーランド、オランダ、スウェーデン、ポーランド、インドへ2週間から4週間のホームステイ体験を重ねていった。同時に、EILを通じて来日するフランス、タイからの学生や社会人のホームステイをわが家で受け入れ、アメリカからの学生たちを引率して東京を案内するボランティア活動にも関わっている。

1.メキシコでホームステイの後、国内をめぐり、太陽のピラミッドに上る(1973年3月)

個人でも、出版社時代の友人・知人、親族らとひんぱんに海外へ出かけていた。雑誌の編集者として新しい情報を得ることは大事、貴金属宝石商の家業をサポートすることにもなる、との理由もあった。
イスラエルでは、集産主義的協同組合“キブツ”に滞在。南米は1か月かけてアルゼンチン、ブラジル、ペルーなどをまわった。アフリカ大陸は、南アフリカ、ケニア、エジプト、チュニジア、モロッコへ。
その他、訪れた国は、スイス、オーストリア、ドイツ、パプアニューギニア、オーストラリア、ベルギー、フランス、イタリア、スペイン、ギリシャ、アイルランド、スコットランド、チェコ、ハンガリー、タイ、マレーシア、シンガポール、中国、香港、ベトナム、カンボジア、インドネシア、ブータン、トルコ、レバノン、カナダ、アラスカ、フィンランド、アイスランドなど。
語学への関心もあり、フランス語、スペイン語、イタリア語を学ぶため語学学校に通った。日伊学院でイタリア語を習っていた時、イタリアの大学での短期留学の奨学金の試験を受けて合格。1989年の夏はピサ大学で1か月を過ごすはずだったが、4月に元同僚たちと企画・編集・プロデュース会社「株式会社プラネットライブラリー」を設立し、NTT本社の新規事業がスタートする時期だったため、周囲から強く止められ、イタリア行きを断念。

2.集英社のファッション誌『SPUR』(1995年6月号)阪神・淡路大震災の被災地でのボランティア活動についてインタビューを受けた

エコロジーの視点のライフスタイルを模索するなかでディープエコロジー、アニマルライト、アニマルウエルフェアへと関心が広がっていき、1994年くらいからヴェジタリアンに。といっても、外食がほとんどで、ただ肉と魚を食べない、できるだけ卵や牛乳も摂らないようにする、という“いいかげんな”食生活だった。1998年10月急性心筋梗塞を発症して緊急搬送された時、「心臓の冠動脈の内膜が裂けて急性心筋梗塞を発症している。低タンパク症も要因かもしれない」との説明を受け、ひとまずヴェジタリアンを断念することに。
2000年千代田区が「飼い主のいない猫の去勢・不妊手術費助成事業」を始め、区民・在勤者を対象に普及員(ボランティア)を募集。自分の編集・執筆の技能が役に立つかもしれないと思い、募集に応じて参加することになった。保健所で開かれた説明会に集まったボランティアたちがネットワークを強め、2001年任意グループ「ちよだニャンとなる会」発足。栗原環初代代表を中心に行政とボランティアが連携協働して「飼い主のいない猫」へのTNR(Trap/Neuter/Return=捕獲・手術・元の場所に戻す)を進めていった。

3.当時の英国大使夫人より相談を受け、大使館の敷地内でTNR。2010年9月23日ちよだニャンとなる会の栗原環初代代表とともに大使館でのティーパーティに招かれた

本業の知識・技能を生かしての“プロボノ”として、本「ペットと幸せに暮らす」~千代田区人と動物の共生ガイドブック~(2007年)、小冊子「犬と幸せに暮らす」~千代田区人と犬の共生ハンドブック」~(2016年)と「猫と幸せに暮らす」~千代田区人と猫の共生ハンドブック」~(2017年)を編集・執筆。千代田区が制作・発行。

4.千代田区制作・発行の普及啓発本『ペットと幸せに暮らす』~千代田区人と動物の共生ガイドブック~(2007年)を編集・執筆・制作。監修は、社団法人日本動物病院福祉協会・顧問(当時)の柴内裕子獣医師。 5.6.小冊子「犬と幸せに暮らす」~千代田区人と犬の共生ハンドブック~(2016年)と「猫と幸せに暮らす」~千代田区人と猫の共生ハンドブック」~(2017年)を編集・執筆。監修は、赤坂動物病院の柴内裕子名誉院長と柴内晶子院長。千代田区が制作・発行
7.2014年永田町で保護して人工哺乳で育てた姉妹猫モモとメイを愛猫として迎える

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2010年、麹町でIT関連会社を営む古川尚美が活動に加わることになる。車に轢かれた猫を一緒に保護したのがきっかけだった。古川は、IT企業を20年以上経営。スペイン留学や外資系企業でのM&A・戦略業務など、多様な経験を持つ。古川の加入によって、ちよだニャンとなる会ではインターネットの活用が進み、SNSでの発信が増え、ネットワークが広がっていった。その後、霞が関で事務所を開く公認会計士の猫ボランティアがプロボノとして協力するようになり、ちよだニャンとなる会は法人化することに。現在は「特定非営利活動法人ちよだニャンとなる会」。古川が代表理事、香取が副代表・業務執行理事となっている。

千代田区で猫の事業が始まった当初はTNRが主な取組だったが、TNRが徹底され、動物愛護・動物福祉への意識が高まるなかで、猫を保護して譲渡することが活動の中心となっていった。
2013年から2017年くらいは、主に千代田区役所で行政と連携して猫の譲渡会を開いていた。

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2018年「保護猫ホーム秋葉原」、2021年「保護猫ホーム神田神保町」開設。いずれもクラウドファンディングで資金を集めてのスタートだった。
非営利法人の仕事と生活のコストパフォーマンス&タイムパフォーマンスを向上させるため、2019年香取と古川は、仕事場ともなっているマンションで同居することに。
千代田区での行政とボランティアが連携協働する取組と成果を広く伝えるとともに動物愛護・動物福祉を向上させるため、古川と香取はイベントを企画する。

2016年2月ちよだニャンとなる会主催、千代田区共催、千代田区役所を会場とする普及啓発チャリティイベント「ちよだ猫まつり」第1回が開催された。その後、2021年のコロナ禍ではオンライン開催となったが、ちよだ猫まつりは毎年開催され、今年2025年2月で10周年を迎えた。

8.クラウドファンディング等で資金を募り、昭和の旅館の建物の一部をリノベーションして、「ちよだニャンとなるCafe」開設(2018年)。現在の名称は「保護猫ホーム秋葉原」
9.特定非営利活動法人ちよだニャンとなる会と一般社団法人東京都人と動物のきずな福祉協会が主催、千代田区が共催の普及啓発チャリティイベント「ちよだ猫まつり」。今年2025年2月15・16日で10周年を迎えた

千代田区外からの相談が増えたため、東京全体を見すえつつまずは都心の猫問題・課題に対応しょうと、2022年「一般社団法人東京都人と動物のきずな福祉協会」設立。香取が代表理事、古川が副代表・業務執行理事を務めている。スタートしてまもなくクラウドファンディングで資金を集め、2023年に猫の保護施設「東京シェルターシェアリング神田神保町」開設。

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2024年1月1日能登半島地震発災後、環境省動物愛護管理室から声がかかり、石川県から被災地の猫を引き取って東京に運び、医療を受けさせ、協会のシェルターで保護とケア、社会化を行なって譲渡先を探す活動が始まった。その後、9月に奥能登豪雨の被害もあり、能登から引き取った被災猫は計49頭。2025年7月現在までに40頭が譲渡完了となっている。
ちよだニャンとなる会と東京都人と動物のきずな福祉協会はたがいに姉妹団体として連携協力し、ちよだ猫まつりも、特定非営利活動法人ちよだニャンとなる会と一般社団法人東京都人と動物のきずな福祉協会が主催するようになった。いずれの非営利法人でも最近、生成AIを導入し、運営や業務遂行、発信等でのグレードアップをはかっている。2025年4月、東京都人と動物のきずな福祉協会内に出版事業部を立ち上げ、屋号「もふ出版」と命名。2026年2月の刊行をめざして本を編集・制作。

香取は、動物福祉・動物愛護に関する非営利活動とは別に、英国留学時代の学友から誘いを受け、2019年「公益財団法人富山文化財団」の理事に就任。同財団は、日本のものづくりを創造する学生の夢の実現を応援するための奨学金制度を実施している。2025年現在も理事を重任。

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10.能登半島地震で被災者が所有権を放棄した猫を古川とともに迎えにいった。石川県南部小動物管理指導センターにて(2024年2月6日)
11.英国ハル大学留学時代の学友であり、富山文化財団の創立者でもある富山幹太郎・株式会社タカラトミー名誉会長の旭日中綬章受賞祝賀会にて(2025年3月19日)

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